秋も足早に通り過ぎ、気づけば冬の香が迫るこのころ。 「世界はうつくしいと 」 – Gallery Kazuki | 画廊香月

「世界はうつくしいと 」

Gallery Kazuki winter selection

2024.12.7 (Sat) - 28 (Sat)

秋も足早に通り過ぎ、気づけば冬の香が迫るこのころ。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
 

12月の画廊香月は、高島進、平松宇造、そして画廊では初登場の広沢仁を迎え、
セレクション展「世界はうつくしいと」を開催いたします。

 

冬の銀座で三者が織りなすひと時をご堪能ください。
お会いできますこと楽しみにしております。香月人美
 

香月人美
 

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うつくしいものの話をしよう。

いつからだろう。ふと気がつくと、

うつくしいということばを、ためらわず

口にすることを、誰もしなくなった。

そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。

うつくしいものをうつくしいと言おう。

風のにおいはうつくしいと。

渓谷の石を伝ってゆく流れはうつくしいと。

午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。

遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。

きらめく川辺の光はうつくしいと。

おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。

……

太い枝を空いっぱいにひろげる

晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。

冬がくるまえの、曇り日の、

南天の、小さな朱い実はうつくしいと。

コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。

過ぎて行く季節はうつくしいと。

さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、

わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。

あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。

⁡うつくしいものをうつくしいと言おう。

⁡幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。

⁡シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。

何ひとつ永遠なんてなく、いつか

すべて塵にかえるのだから、

世界はうつくしいと。

長田弘

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高島 進  Susumu TAKASHIMA ︎ Detail

高島進はインク、筆、色鉛筆などの特徴を生かした、彼にしかできない手法で作品を作る。
彼の作品は、筆のインクの減少、あるいは色鉛筆や金属の芯の摩耗によって太さがかわっていく線を、並べて反復して描くことでできあがる。彼の作品は、それぞれの素材固有の線の結晶体と言える。

「筆、インクと紙のためのドローイング」「鉛筆削り、色鉛筆とキャンバスのためのドローイング」「金属筆と紙のためのドローイング」等題名は、その手法が、手段と目的を反転させる試みであることを示唆している。

それは、その曲が「ピアノとヴァイオリンのための音楽」等、どの楽器のために書かれたのかを示すクラシックの器楽曲のタイトルから着想された。高島は、制作の手段と目的が変われば作品の意味と内容も、自ずと変化すると信じている。
高島の作品は、時間と集中力を必要とする。

そして、繊細でありながら力強く、美しい。—日本の美術の多くがそうであるように―

《収蔵》  青梅市立美術館、羽田空港、ワシントン・ナショナルギャラリー(U.S.A.)

 

 

 

 

平松 宇造  Uzo HIRAMATSU ︎ Detail

私の絵画は、物質感を排除し、表面を完全にフラットに仕上げることで、鑑賞者に絵画を物質としてではなく空間や景色との繋がりを感じてもらいたいと考えています。

そのため、鑑賞者が絵画の表面に目を留めることなく、より空気感や気配のように感じ取ってほしいのです。
 
また、花をモチーフに描くことが多いのですが、花そのものではなく、花がそこに咲くように絵を表現したいという思いがあります。花が自然の中や街中で静かに咲いている…そんな存在の仕方を絵画で表現することが私の理想です。
 
私の絵画は単色であり、関係性や物語を提示することを避けることで、鑑賞者に感じることを重視した芸術体験を提供したいと考えています。

 

 

 

 

広沢 仁  Jin HIROSAWA ︎ Detail

彫刻と置物の間の様なもの。 シンプルで強いイメージを持った、見た事の無い様なそれでいて懐かしいもの。それは物語を喚起し、他との関係で変化するもの。

ユーモアの中に悲しみや孤独を見出すこと。夢の中の様なおかしさと粘りつく不安があること。

木彫は楠の一木造り。なるべく電動工具は使わず、ノコギリ、ノミ、彫刻刀の手仕事で仕上げる様にしている。マケットを作って木で再現するよりも即興的にドローイングの様に作っている。 

版画も木彫も出来上がりは完成度の高いものにならない様注意している。未完成さや欠落さが言葉や思考が入ってくる気がするから。

ボリュームやマッスを持つマッチョな彫刻ではなく、民芸の延長にしたい部分もある。なので大きさは一尺(約30センチ)の仏像彫刻サイズを中心にしている。