https://artf" /> AFAF 2022 出展のお知らせ – Gallery Kazuki | 画廊香月

AFAF 2022 出展のお知らせ

ART FAIR ASIA FUKUOKA 2022

2022.9.29[FRI]-10.3[MON] ※ホテルオークラ福岡は10.2[SUN]まで

■会期
2022年9月30日(金)-10月3日(月)
*ホテルオークラ福岡のみ10月2日終了
*入場時間はAFAF公式サイトからご確認ください
https://artfair.asia/

■会場
会場1 福岡国際会議場
会場2 ホテルオークラ福岡

*画廊香月 出展ブース:ホテルオークラ福岡 901号室
*ホテルオークラロビー特設会場展示に、画廊香月から2作品(堀越千秋《詩人の肖像》、小林裕児《裸婦》)が選出されました。ぜひ合わせてご覧ください。

■入場
一般のチケット購入ガイドはAFAF公式のチケットサイトを参照ください
https://teket.jp/4326/14887

■AFAF 2022公式サイト
https://artfair.asia/

 

 

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出展作家
About artist

– 堀越千秋  / Chiaki Horikoshi
– 小林裕児  / Yuji Kobayashi
– 安元亮祐  / Ryosuke Yasumoto
– 高島進     / Susumu Takashima
– 田上允克 / Masakatsu Tagami
– 岸田淳平 / Junpei Kishida
– 池田龍雄 / Tatsuo Ikeda

 

堀越千秋 / Chiaki Horikoshi
1948-2016

1948年東京都生まれ。東京芸術大学大学院油画科専攻終了後、ヨーロッパ各地を放浪。1976年スペイン政府給費留学生としてマドリッドに定住する。マドリッドを中心に世界各地で活動を続ける堀越は、「スペインは、誰もがピカソの勢いと、短気と、粗放さ を持っている芸術国家だ」というスペインへの共感をベースに、絵画、立体、壁画などのアートからカンテ( フラメンコの唄)、エッセイといったさまざまな分野において、 ダイナミックで幅広い作品を生み出してきた。「武満徹全集(小学館)」の装画で経済通産大臣賞。ライプチヒ市「世界で一番美しい本」日本代表に選出。全日空機内誌「翼の王国」表紙絵でも知られる。カンテの名門一族「アグヘタファミリー」との親交を深め、カンテ(フラメンコの唄)の名手としても活躍し、2004年フジロックフェスティバルにも出演した。著書に「フラメンコ狂日記」、「絵に描けないスペイン」「赤土色のスペイン」「美を見て死ね」など多数出版される。2014年、スペイン政府より文民功労賞を受賞。2016年、マドリッドにて死去。今日まで、画廊香月にて毎年展覧会を開催。

Born in 1948, Tokyo. After graduating with a major in oil painting from Tokyo University of the Arts, Chiaki went traveling around Europe. Settled in Madrid in 1976 as an exchange student sponsored by the Spanish government. Chiaki continued his activities around the world with Madrid at the center: “Spain is an artistic nation where everyone has the energy of Picasso, short temper, and roughness”. Based on his empathy with Spain, he has produced dynamic and wide-ranging works in various fields such as paintings, sculptures, murals, cante (flamenco songs) and essays. Received the Minister of Economy, Trade and Industry Prize for “Takemitsu Toru Complete Works (Shogakukan)”.  Elected as the Japanese representative for “most beautiful book in the world” at Leipzig. Also known for the covers of ANA’s inflight magazines “Tsubasa no oukoku”. He deepened his friendship with the prestigious family of cante Agujetas and performed cante (flamenco songs), appearing at the Fuji Rock Festival in 2004.Chiaki also published many books such as “Flamenco kyou nikki”,”E ni egakenai Spain”, Akatsuchi-iro no Spain” and “Bi o mite shine”.2014, received a civilian award for distinguished service from the Spanish government. 2016, passed away in Madrid. To this day, an exhibition is held every year at Gallery Kazuki.  

 

どんなに曇った心をも、一瞬で晴天にする太陽のようだった。作品も、その人柄も。絵画、陶芸、版画に書。垣根知らずの好奇心。掌にすっぽり、ごろりとおさまる、滑稽な形状の手づくりお猪口が物語る。権威、形式、何するものぞ。手にとる人の心が踊れば、それでいいじゃないか。東京芸大大学院を経てスペインに居を定め、心のままに生きる贅沢をしる。「森羅万象を冷静に、客観的に観ることが絵の勉強」「芸術は、相反する二者を一つに昇華する」。そんな哲学の前には抽象と具象の境界など無意味だった。初夏になると、埼玉の山奥に自ら構えた窯に赴いた。地元の人や留学生らが酒や肴を手に集い、我先にと窯焚きや薪割りを手伝った。東京・銀座で「画廊香月」を営む香月人美さんには、命あふれる作品の数々が「人のはらわたの切断面」に見えた。「私たちの中に、宇宙や自然の尊き全てが備わっていることを思い起こさせる」5月、同画廊での自身の個展の折、痩せた腕で突然筆をとり、絶唱のように扉に一気に走らせた。10分で躍動的な絵が完成。黒く丸く塗り込めた部分を「命の種みたい」と言う香月さんに、へへっとはにかんだ。日本の地方の祭りを巡っては、多様な命のありように涙した。全日空の機内誌「翼の王国」の表紙絵は今月号が絶筆に。淡い虹のかかる大空で、色とりどりの鳥たちがめいめいの方角を向き、健やかに羽ばたいている。
2016.12.3 朝日新聞(編集委員・吉田純子)より  

 


美を見て死ね ―堀越千秋

 「美は、一目で分かる。しかし、そのためには、訓練が必要である。”美とはひとつの訓練である”と小林秀雄は言った。訓練なしに分かる美は、子供も大好きなアメやチョコレートだ。しかし世界はもっと豊かな味覚に満ちている。…カンテの美は、声が消えてゆく、その弱らせ方にこそある。大仰に言うとカンタオールの人生の味わいが出るのだ。…では、カンテの真実味とは何か? それは貧しいアンダルシアの、貧しい人々だけが持つ、真っすぐの生命力である。金持ちは、他人の分までを持っている人々である。こういう人が、なぜ魂の叫びを叫べるであろうか? 金持ちのキリスト、金持ちのゴッホが、いただろうか?マヌエル.・アグヘータの歌う古いカンテを聴くと、まさにそう語る声がきこえるのである」 (朝日新聞Artist’s Eye「真実のフランメンコ」堀越千秋) 1976年フランコがまだ生きていて、絵かきが絵かきだった時代。生きた芸術を求め堀越は、東京芸術大学大学院を修了後スペインへと渡った。「努力や反省から芸術は生まれない」「すべての芸術とは遊びに似て、楽しくやらなければならない、飽きたら思いきりよく方向転換すれば良い。アートは本来短気で、雑で、力強く、それに細心さが伴わなければならない」絶えず堀越が語り続けたことばでした。うねるダイナミックな黒い線は、すべての欲望を呑み込む。歌う色彩は、およそこの世の生きものたちの息吹き。  自由奔放な生きざまと、その表現活動は、圧倒的な存在感を持って見るものの命の根っこを揺さぶる。零れるような笑顔の奥から光の矢を放つような眼差しで、一瞬の内に傍らにいる者を魅了する”獣と子供の魂を持つ生きもの”、”恐るべき天才芸術家” 。スペインにおいて自己を模索し続け、スペインと日本の架け橋となって生きた芸術家、堀越千秋。
「絵における黒とは、重さであり、力であり、熱であり、重心であり、魂である」  (「美を見て死ね」※)より

2018年 5月   画廊香月  香月人美

※「美を見て死ね」は『週間朝日』(朝日新聞出版刊)2014年-2016年に掲載された連載のタイトル。2017年に株式会社エイアンドエフより単行本として刊行。  

 

 Die having seen Beauty  ―Chiaki Horikoshi Art Exhibition at PARK HOTEL TOKYO

 “Beauty is understood at a glance. But it requires training. As Kobayashi Hideo once said: ‘Beauty is a training’. The beauty without any training would be candy and chocolate, for which a child would be crazy; the world is filled with the wealth of far richer tastes.…The beauty of cante lies in the way its voice diminishes and disappears. In it one would sense, as it were, the flavour and weight of cantaor’s life revealing itself.…Where does the reality of the cante lie? It is the straightforward vitality, which only the poor people in the poor Andalusia possess. The rich people are those who possess what belong to others. How could they possibly cry the cries of the soul? Has there ever been rich Christ, or rich Gogh? In the old cante sung by Manuel Agujeta one hears the voice telling just that.”— from ‘The True Flamenco’, in Artist’s Eye, Asahi Shimbun In 1976, when Franco was still alive, artists were real artists. Seeking the real living arts, Horikoshi went to Spain, after having finished the Art School at Tokyo University of the Arts.“The art is not borne in the efforts or from the reflection.” “Every art has to be enjoyed as in a playful game; if it has turned into something no more appealing, one can boldly turn around. Art should be in itself impulsive, rough, powerful, and simultaneously has to be accompanied by the utmost meticulousness.” Such were the words he used to tell us repeatedly.The dynamically meandering black lines seem to draw and devour all the desires. The singing colours are the breathing of all of living creatures. His freewheeling way of life and artistic activities shake the soul of the viewers at the root of life with the overwhelming presence. His glance, shedding light behind the brimming smile, immediately captured the heart and soul of those who encountered him: the creature with the spirit of beasts and children; an “awesome artistic genius”. Horikoshi Chiaki, who throughout his life had kept seeking himself in Spain, and lived throwing a bridge between Spain and Japan.
“The black in the picture is the weight, the power, the heat, the centre of gravity, and the soul.” — from ‘Die having seen Beauty’* 

May, 2018. Gallery Kazuki, Kazuki Hitomi 

*‘Die having seen beauty’ is the title of the serial essays in the weekly magazine published by Asahi Shimbun, from 2014 to 2016. They have been published in book form in 2017 by the publisher A&F.

 

 

 

 

小林裕児 / Yuji Kobayashi
1948- 

1948年東京都生まれ。1974年東京芸術大学油画科大学院修了。三十代初め、動物を擬人化した緻密なテンペラ画でデビューするが、その後大きく変貌し人物をデフォルメした自由な構成となる。1987年第64回春陽展賞受賞。1996年「夢酔」で第39回安井賞受賞。国内外で多数の個展を開催、北京ビエンナーレ、ピョンチャンビエンナーレなどのグループ展に参加するほか、音楽家やダンサー、俳優達と多様なライブパフォーマンスで美術の新しい楽しみ方を展開する。表現の範囲は一か所にとどまらず、和紙や布など自由な素材を用いて、油彩の平面をはじめ、版画や立体、ドローイングなど様々な表現を通じて絵画の可能性を探求している。横浜美術館、新潟県立美術館、宮崎県立美術館、佐久市立近代美術館、黒部市美術館、東京オペラシティアートギャラリー、渋川市美術館 他に作品が収蔵されている。

 

森に囲まれた一軒家に住んでいます。見えるのはHONDAの大きな工場へとつながる鉄塔の頂部、それ以外は空と木ばかりの谷地です。そのせいか私は人間界とは別の生き物世界「異界」の存在を強く意識して絵を描くようになりました。アトリエの空間には大窓に接するように翌檜(アスナロ)の垂線と遠く近く五感を刺す様々な生き物達の息づかいが入り込みます。それが「仄くらい森の白昼夢」を誘うようです。此所は異界との鋭い界面なのでしょうか。画面をさ迷う私はふと奇なる世界へと吸い寄せられ異空間に体ごと入り込んでしまいます。それはまた森のなかで朽ちてゆく廃屋とそれを呑みこんでいく蔓植物との葛藤のように死と生を行き来する感覚であるようにも思えます。

2017年 美術の窓7月号掲載記事「異界」小林裕児 寄稿 より

 

 

安元亮祐 / Ryosuke Yasumoto
1954-

兵庫県姫路市生まれ。1972年東京教育大(現、筑波大)付属聾(ろう)学校美術専攻科入学。幼い頃に画家を志す。学生時代から独特の色彩感覚が際立ち頭角を現わす。美しいブルーグレイは安元グレイと呼ばれる。初期の画風にはサーカスやマリオネットのピエロ、フルートやトランペットを奏でるジプシー、枯れた花、楽園、降り注ぐ雨は記憶の断片を紡ぐ。幻想的な世界は多くのファンを魅了している。1988年(34歳)安田火災美術財団奨励賞受賞。1989年セントラル美術館油絵大賞展・佳作賞受賞。第27回昭和会展(日動画廊主催)昭和会賞受賞。舞台美術に『RASYOMON烏・風の迷路』『コクトーの遺言』『オルフェウス』他多数。

 

数年前、安元亮祐氏の絵画にはじめて出会った。
見知らぬ町の、さびれた海辺のがらんとした室内に道化がどこからとなく漂着(漂い流れて海辺に着くこと)し、もの思いにふけったり(熱中する、夢中になること)、たたずんだり(じっと立っている)している。そのたまらない孤独な風景はしかしどこか淋しく、どこか生あたたかい。遠い昔、どこかで出会った光景のような気もするし、夢とうつつ(現実)の間で漂った時間のような気もする。音のない静寂な空間だが遠くの方で波のさざめきがかすかに聞こえてくる。安元亮祐の絵から受けた最初の印象である。異質な世界となつかしい世界とが叙情的(感情がゆっくりと外に表れること)に溶け合っているのだ。触れたら崩れてしまいそうなはかなさと記憶のなかにいつまでもたたずんでいる得難い不思議な物質感。一度見たら忘れることの出来ない舞台である。
その時この画家がろうあ者(耳が聞こえない、しゃべれない)であることを私は知らなかったのだ。そのあと安元亮祐夫妻にお会いして手話で話しているお二人を見て、その事実を知り、心打たれた。不安でありながら、マチエールに塗り込められた澄んだナイーブなこの感性は、画家が音のない世界で現実の中に心象(感覚(的要素)が心の中に再生したもの。イメージ。)を求めながら制作しているからだと分かった。松本竣介と共通する海辺や町並を濡らす驟雨(急に降り出す雨)のようにデリケートでしっとりとした画肌は私たちを限りなくなつかしい詩人の風景へ誘ってくれる。

池田満寿夫のことば

池田満寿夫 / Masuo Ikeda
画家、版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。1966年、32歳のとき、版画家としては最高権威のヴェネツイア・ビエンナーレ展版画部門の国際大賞を受賞

 

 

高島進 / Susumu Takashima
1959-

兵庫県生まれ。1982年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。1984年武蔵野美術学園油絵科修了。1987年アジェンデ美術学校(メキシコ)に1年留学。筆のインクの減少、あるいは色鉛筆や金属の芯の摩耗によって太さがかわっていく線を、並べて反復して描くことでできあがる「素材と道具のためのドローイング」などを制作。第11回青木繁記念大賞公募展/優秀賞(2002)、第14回多摩秀作美術展/大賞(2000)、第2回昭和シェル石油現代美術賞展/奨励賞(1997)など。イタリア、ベルギー、サンフランシスコ、中国、他国内外で多数出展。青梅市立美術館、羽田空港に作品を収蔵。

 

 一本一本の線が筆とインク、または色鉛筆で精巧に描かれている高島進のドローイングは、無意識的な行為である呼吸を思わせる機械的な精巧性で曲がり、広がり、渦巻く。私達の生活が本来の目的や計画から逸れるようにアートは線で始まり別の線で終わる――そして、それらの線の間には無数の可能性と不確実性がある。高島の作品の可能性は、彼の創作で用いられる手段から始まる。彼がインクを含んだ筆で描いた線は繰り返される度に細く、薄くなって行き、色鉛筆で描く線は描かれる度に太くなる。無意識的であるのと同時に意図を持つ作品を生み出す事で高島は、息を吸って吐く事が無意識的でありながら生命を維持するという目的を持つ行為である事を喚起する。 ジョン・トーマス・トレンブレイが今号の序説で適切に書いているように、高島の作品を見ていると、この作家が呼吸を可視化しているのではなく、呼吸の特質(私達が自分や他人の息を意識する時に感じるそれ)を浮かび上げているという事が分かる。「筆、インクと紙のためのドローイング」Ic(陽)青紫:緑:オレンジ=6:1:2は青紫、緑、オレンジの渦の、厳重な規則正しさで描かれた線が忍び寄る暗闇の幻想的な「穴」と出会うところで捉えられなくなるまで追っている。この作品の線は、呼吸について考えたり感じる事を私達が制御できるのと同時に制御外であることを暗示している(これには瞑想による呼吸のコントロールと、真逆の状態である、不安から発生するパニックやエクスタシーが含まれている)。高島は、呼吸の反復とその道のりを描く――まるで詩句が、息遣いが聞こえてきそうな考えや感情の波、間(ま)、告示を捉えるように。

―ジェシー・エリザベス・アルペリン

 

Line by line, delicately drawn with brushes and ink or colored pencils, Susumu Takashima’s drawings curl, unfold, and coil with a mechanical delicacy that evokes the automatic action of breathing. Just as our lives shift paths from original objectives and plans, art begins with a mark and ends in another with endless possibilities and uncertainty in between. The possibilities of Takashima’s work begin with his artistic tools — lines of inked brushes that gradually become narrower and fainter with repetition and markings of colored pencils that grow wider with each stroke. Conceiving an artwork that is at once automatic and purposeful, Takashima evokes the process of inhalation and exhalation as an automatic, yet deliberate action to sustain life.  Looking at Takashima’s art, one sees as Jean-Thomas Tremblay aptly writes in the preface to this issue that the artist does not attempt to render breath as visible, but rather evokes qualities of respiration — the feelings one encounters when one considers their own breath or is touched by the breathing of another. Drawing for brush, ink, and paper,  Ⅰc(yang)violet: green: orange=6: 1:2, follows its violent, green, and orange swirls that slowly fade out of grasp where the tightly controlled markings meet an illusionistic pit of approaching darkness. Here, the lines are suggestive of thinking and feeling breath as simultaneously in one’s grasp and beyond, encompassing the meditative control of our breathing as well as opposite states of anxious panic or even ecstasy. Takashima writes respiration in its many iterations and experiences, just as poetic lines capture the undulations, pauses, and annunciations of breathy thoughts and feelings. 

 – Jessie Elizabeth Alperin

 

 

田上允克 / Masakatsu Tagami
1944-

1944年山口県生まれ。1967年山口大学哲学科を卒業。1972年に上京後、東京の鷹美術研究所で学ぶ。1974年に初の個展を開催。鋭い筆致で描かれた幻想的な世界の絵画作品と版画を展示する。水彩画から始め、その後油彩、銅版画、ニュー水墨、ミックスメディアなど様々な表現で作品をつくり続ける。田上允克は独学で絵の技術を学び、一貫して芸術の道を歩んできた。グループに属さず、公募展にも関わらず、テーマやスタイルに囚われず、内側からあふれるものをその時々の表現で描き続けている。

 

改めて記すまでもないが、この地球は人間だけのものではない。鯉のもの、ナマズのもの、狐のもの、竹の子のものであり、その他ありとあらゆる生きとし生けるもののためにある。鯉やナマズや狐や竹の子側に立てば、人間たちだって同じ生きものの一種にすぎないのだ。太蛾(田上充克の別名)さんの深奥には、いつもこうした思いが脈打っているような気がする。

例えば、古くから「鰯の頭も信心から」といった諺がある。太蛾さんにはこれを、鈴の尾をつけた鰯のような魚の頭が載った皿の前に、一匹の巨大な鯉を人間やけものたちにむりやり引きずり出させ、神妙に拝ませる鳥蛾図として作品化する。また、「桃太郎」や「浦島太郎」などのお伽噺から部分的に着想したと思われるイロニーも多い。ポッシュやブリューゲルのように、空間をそうしたさまざまなことばで饒舌に充たす戯画もいいが、線刻やフォルムが何ともくすぐったくおかしみがあり、それでいてほのかなポエジーの気配を感じさせる比較的新しいのもなかなかいい。

200枚から300枚ぐらいのデッサンを一度にドサッと画廊に預けるほどの努力家だ。磨かれたテクニックにそう狂いがないし何でもできる。狂うとしたらむしろ、日常のぬるま湯にとっぷり漬かり、驚きを忘れてしまった見る側の平衡感覚の方かもしれない。

饒舌と寡黙のイロニー(ワシオ・トシヒコ)より抜粋

 

 

岸田淳平 / Junpei Kishida
1943-

1943年大阪府生まれ。66年関西学院大学心理学科卒業。パブリックコレクションに東京オペラシティアートギャラリー、寺田小太郎コレクション、米子市美術館、ウッジ市立美術館(ポーランド)、国際グラフィックアート美術館(エジプト)など、国内外の施設に作品が収蔵されている。国内外で活躍。

 

 何も言うことがない いじましい男が夜な夜な夢をえがき
 画面のなかで肉付けした無邪気で妖しい生きものたち
 過去がぎっしり詰まってふくれあがったオンナ
 男たちに肌を染めあげられたオンナ
 女・・・・・・・・・・・
 だがそれほどにも逸話で満たされていないと 女は生きてゆけないのだろうか
 神がその両腕をもぎとって完成させた石の女のように
 なにひとつ語ることのない重みに耐え わずかの光にも深い蔭をのぞかせる
 そんな女はいないものか
 逸話のオンナたちと別れるためにこの画家は
 あえて僕に悪口を言わせたいらしいが 僕は駄目だ
 同じようにイジマシイ男なので 同じオンナに溺れてしまう

 野見山暁治

 

 

   

池田龍雄 / Tatsuo Ikeda 
1928-2020

佐賀県伊万里市生まれ。15歳で海軍航空隊に入隊、特攻隊員として訓練中に敗戦を迎える。師範学校に編入するが軍国主義者の烙印をおされ追放。1948年上京。多摩造形芸術専門学校へ入学。岡本太郎や花田清輝らによる〈アヴァンギャルド芸術研究会〉に飛び込み前衛芸術の道を歩む。朝鮮戦争の勃発により絵画におけるルポルタージュの可能性を探るなか、1954年の読売アンデパンダン展に内灘闘争を描いた「網元」を発表。1960年代後半、宇宙と生命の深奥を描いた15年に及ぶ連作「BRAHMAN」を手がける。2010年「池田龍雄アヴァンギャルドの軌跡」山梨県立美術館、川崎市岡本太郎美術館、福岡県立美術館。2011~14年 画廊香月/東京にて毎年個展。2014年 「我が心のなかのメルヴェーユ」神田日勝記念美術館 / 画廊香月企画、2015年「我が心のなかのメルヴェーユ」画廊香月/ Gallely MORYTA 創設25周年記念展。2018年「戦後美術の現在形 池田龍雄展-楕円幻想」練馬区美術館。

 

絵とは何か。なぜ絵を描くのか。
わたしは遂に解のないこの問題を、ずっと胸に抱え込んだまま今もなお執拗に絵を描き続けている。まるで、絵を描き続けることそのことがその答えであるかのように。…
…面白い苦労の果てに生み出されてきた作品を、わたしは恐る恐る―内心では自信たっぷり―他者の眼に晒す。そこでようやく表現は完結し、そのとき作品は晴れて”Objet de Art”(オブジュタール)となってこの世に生まれ出る。その媒体もしくは場所となるのが、美術館であり街の画廊だ。とりわけ画廊は、作品をいわゆる「展示価値」として扱うだけではなく。「貨幣価値」に替えて観客の手に渡してくれる重要な場所である。
しかし、もともと売るために作られたものではない作品、特に、難しい・分からない、などと敬遠されがちな現代美術を、お金に換える仕事は容易いものではないだろう。しかし、今から5年ほど前、福岡から東京へ進出してきた画廊香月は、その困難な仕事に敢然と挑んでいる。何よりも、その意欲を支えているのはオーナー香月人美の芸術に対するひたむきな愛と情熱だ。…

2015年 画廊香月/Gallely MORYTA 25周年記念展 池田龍雄展「我が心のメルヴェーユ」に寄せて 池田龍雄より

 

 

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