堀越千秋 展 -スペインスケッチブック –

Chiaki Horikoshi Exhibition

1998年2月25日(水) - 3月15日(日)

■ 堀越千秋プロフィール
1948年東京都生まれ。
東京芸術大学大学院油画科専攻終了後、ヨーロッパ各地を放浪。 1976年スペイン政府給費留学生としてマドリッドに定住する。

マドリッドを中心に世界各地で活動を続ける堀越は、「スペインは、誰もがヒピカソの勢いと、短気と、粗放さ を持っている芸術国家だ」というスペインへの共感をベースに、絵画、立体、壁画などのアートからカンテ( フラメンコの唄)、エッセイといったさまざまな分野において、 ダイナミックで幅広い作品を生み出してきた。
「武満徹全集(小学館)」の装画で経済通産大臣賞。ライプチヒ市「世界で一番美しい本」日本代表に選出。全日空機内誌「翼の王国」表紙絵でも知られる。
カンテの名門一族「アグヘタファミリー」との親交を深め、カンテ(フラメンコの唄)の名手としても活躍し、2004年フジロックフェスティバルにも出演した。
著書に「フラメンコ狂日記」、「絵に描けないスペイン」「赤土色のスペイン」「美を見て死ね」など多数出版される。

2014年、スペイン政府より文民功労賞を受賞。
2016年、マドリッドにて死去。

■ 堀越千秋の言葉
アンダルシアが育んだカンテ・ブーロの生きた伝統を誰よりも歌い上げる生粋のカンタオール。
飾りけのない渋さの中に、奥深い情熱のドラマを秘めたカンテ・フラメンコの真髄。
モジリアニの恋人だったという老女が、カフェで足を組んでいる。刑事が大きな拳銃を担いで走り回る…..。

スペインは、誰もがピカソの勢いと、短気と、粗放をもっている「芸術国家」だ。
スペインへ来てみれば、スペイン人は、みな、ピカソであった。肉屋は大学ノート大の包丁を振り回し、何本かの左指は失われているのだった。左官も歯医者も弁護士も床屋もエカキも、みなピカソの勢いと、短気と、粗放とを持っていた。
エカキどもは老若を問わず豪胆に、当てずっぽうに仕事をするから、滅法早い。
ベラスケスでもゴヤでも、画布に目を近ずけてみると、遠目の重厚さを裏切るようなウス塗りと、雑な筆致である。
これを「日本的な言い方」でいうと「上手いから少ないタッチで決まるのだ。」となるが、それは間違い。
スペイン人というものが、そもそも短気で、雑で、力強いのだ。
それに細心さが加わると、ベラスケスやゴヤやピカソやミロの出来上がり。矛盾する両極を具有することが、才能である。
<堀越千秋>

■ Opening 
2月25日(水)
第一部 pm4:00 「堀越千秋を囲んで」

第二部 pm8:00 「カンテ/フラメンコ・フェスタ」
出演:堀越千秋 / ファン・ゴルド・アグヘータ
前売り ¥4.000 当日 ¥4.500

アグヘータ一族を迎えて <Agujetas>
アグヘータと言えば、フラメンコの世界では知らぬ人はいないというほど、知られた存在だ。
かつて来日していろいろ騒ぎ(?)を巻き起こしたマヌエルは、僕が思うに現在カンテ・ヒターノを唄わせたら右に出るものはいない。 
今若者に受けている、コマーシャルにどっぷりつかった有名な連中なんぞ、逆立ちしてもかないっこないすごい男なのだ。
 
マヌエルの兄ファン。そして義兄弟のミゲル。
普段プロとしては活動しておらず、昔ながらの生活をしながら唄いたい時に唄う。
アンダルシアが育んだカンテ・プーロであり、深い情感の中に素朴な温かさを感じる。
そして自然な唄い口と黒い音色を持った唄声は一級品だ。

プーロとは、形ではなく精神であり、言葉でいうのは至難だが、そこには飾り気のない自然さがあり、
他には媚びを売らない品性と格調があり、深く魂の底から発せられる黒い音、声がある。 
そして野生をアルテという一本の糸が絶妙な即制でたぐり、我々を吸い込む。 
日本でもかつてないほどカンテ愛好熱が高まってきている中、本物のカンテ・ヒターノが聴けるこの機会は、すべての愛好家へのすばらしい贈り物だ。
<エンリケ坂井>