時分の花 真の花 the Special Selected Exhibition 1980-

Jibun no Hana Makoto no Hana

2022.3.14 [Mon] - 3.29 [Tue]

Jibun no Hana Makoto no Hana
The Special Selected Exhibition1980-
「時分の花 真の花」
2022.3.14[mon]-3.29[Tue]
13:00~18:30[日・水 休廊]

河原朝生 / 岸田淳平 / 小林健二 / 小林裕児
田上允克 / 野見山暁治 / 安元亮祐 / 横田海

何も言うことがない いじましい男が夜な夜な夢をえがき
画面のなかで肉付けした無邪気で妖しい生きものたち
過去がぎっしり詰まってふくれあがったオンナ
男たちに肌を染めあげられたオンナ
女・・・・・・・・・・・
だがそれほどにも逸話で満たされていないと 女は生きてゆけないのだろうか
神がその両腕をもぎとって完成させた石の女のように
なにひとつ語ることのない重みに耐え わずかの光にも深い蔭をのぞかせる
そんな女はいないものか
逸話のオンナたちと別れるためにこの画家は
あえて僕に悪口を言わせたいらしいが 僕は駄目だ
同じようにイジマシイ男なので 同じオンナに溺れてしまう

野見山暁治


河原朝生 / Asao Kawahara
1949 7月11日東京、目白に生まれる。
1972 渡伊、ローマ国立美術学校に入学。油彩画を学ぶ。

20代のほとんどを日本から離れ、イタリアで暮らした河原はキリコやカルロ・カルラら イタリア形而上絵画のからりと乾いて謎めいた、何かが起こりそうな空間の感触が肌に合ったと言う。そこには生活感も時間もない、神秘で謎の世界が生まれる。ひとつの完結した宇宙が存在する。


岸田淳平 / Junpei Kishida
1943年大阪府生まれ。66年関西学院大学心理学科卒業。パブリックコレクションに東京オペラシティアートギャラリー、寺田小太郎コレクション、米子市美術館、ウッジ市立美術館(ポーランド)、国際グラフィックアート美術館(エジプト)など、国内外の施設に作品が収蔵されている。国内外で活躍。

小林健二 / Kenji Kobayashi
1957 年東京都港区新橋生まれ。絵画、立体、インスタレーションなど、ジャンルにとらわれない表現活動で知られる。その表現世界は、神秘的なテーマ、太古の夢、そして人類の未来へと多岐に渡る。
水戸芸術館、三菱地所アルティアム、福岡市美術館、福井市美術館などにて個展、グループ展を開催。
主な著書に「ぼくらの鉱石ラジオ」がある。

小林裕児 / Yuji Kobayashi
1948年東京都生まれ。1974年東京芸術大学油画科大学院修了。1996年安井賞受賞。
国内外で多数の個展を開催、北京ビエンナーレ、ピョンチャンビエンナーレなどのグループ展に参加するほか、音楽家やダンサー、俳優達と多様なライブパフォーマンスで美術の新しい楽しみ方を展開する。


田上允克 / Masakatsu Tagami
1944 山口県生まれ
1967 山口大学卒業
1973〜 東京移住、制作に入る(水彩画、油絵、銅版画、他)
1984 現代画廊にて版画展(洲之内徹氏のテキストより)、後ニュー墨絵制作に入る
1990 紙にミックスメディアで描き始めて現在にいたる
2000 京都に移住
2004 東京日仏学院で個展
2006 山口県に移住

饒舌と寡黙のイロニー(ワシオ・トシヒコ)

名前というのは、自分にとって大義があっても、第三者には識別するただの記号にすぎない。どんな突飛な画号や変名にも動揺しないが、太蛾亜美(だがあみ)さんだけは例外だ。最初から引っ掛かったので、画廊の佐藤さんに訊いたところ、本名は「田上充克」だという。なんと、苗字の音をそのまま別の漢字に置き換え、フルネームにしてしまったわけだ。田上充克を「太蛾亜美」にメタモらせたこの戯画精神こそ、密室の中で、銅版上に異様な幻想的イロニー空間を腐刻させる弾機になっているのではないだろうか。

改めて記すまでもないが、この地球は人間だけのものではない。鯉のもの、ナマズのもの、狐のもの、竹の子のものであり、その他ありとあらゆる生きとし生けるもののためにある。鯉やナマズや狐や竹の子側に立てば、人間たちだって同じ生きものの一種にすぎないのだ。太蛾さんの深奥には、いつもこうした思いが脈打っているような気がする。

例えば、古くから「鰯の頭も信心から」といった諺がある。太蛾さんにはこれを、鈴の尾をつけた鰯のような魚の頭が載った皿の前に、一匹の巨大な鯉を人間やけものたちにむりやり引きずり出させ、神妙に拝ませる鳥蛾図として作品化する。また、「桃太郎」や「浦島太郎」などのお伽噺から部分的に着想したと思われるイロニーも多い。ポッシュやブリューゲルのように、空間をそうしたさまざまなことばで饒舌に充たす戯画もいいが、線刻やフォルムが何ともくすぐったくおかしみがあり、それでいてほのかなポエジーの気配を感じさせる比較的新しいのもなかなかいい。

200枚から300枚ぐらいのデッサンを一度にドサッと画廊に預けるほどの努力家だ。磨かれたテクニックにそう狂いがないし何でもできる。狂うとしたらむしろ、日常のぬるま湯にとっぷり漬かり、驚きを忘れてしまった見る側の平衡感覚の方かもしれない。(詩人・美術評論家)

画廊から(州之内徹)

ワシオさんの書いているとおり、太蛾亜美はタガアミ、すなわち田上である。私がつきあいを始めた頃は、彼が田上君であった。それが突然太蛾亜美になったとき私はあっけにとられたが、彼はただ静かに笑っているだけであった。何事につけても彼は説明ということをしないのだ。自分の仕事についてもそうである。その点もいまの若い人としては変わっている。

つきあいは、もう十年くらいにはなるだろう。いまでも若いのだから、考えてみれば、その頃はうんと若かったわけだが、彼は裸婦のデッサンに夢中になっていた。画用紙は高いからといって、ザラ紙を買って使っていたが、彼の描く数量からいって、それも当然と思われた。画廊が休みでしまっていて、翌日、私が行くと、ドアの前に、縄で縛った何百枚ものデッサンが置いてあったりした。

うまいデッサンで、私はいつも感心したが、感心しながら、私は一種の危惧を感じた。彼はいつも茶色のコンテを使ってザラ紙に描くのだが、コンテにも紙にもなれ過ぎて、仕事がすべってしまうのだ。よどみがなさ過ぎる。仕事が深くなるための引っかかりがない。

かといって、どうすればいいのか、私にも分からないのだったが、彼がエッチングをやり始めたとき、あ、これだなと思った。手間のかかるエッチングの工程がすべり止めになったのかもしれなかった。イメージが画面に食いこんできた。

それにしても、彼のイメージの、この豊富さはどうだろう。ヴァラエティの豊富さだけを言うのではない。内発的なものの豊かさを私は言っているのだ。ガツガツしない。悠々たるものである。だから、得てして類型的になりがちのこういう発想がそうならず、一枚ごとにみな新しく、面白く、生きている。グロテスクの中にいつも彼独特の静かな笑いがある。そして、ここへ来て、むかしの彼のあのデッサンが物を言っているのに私は気が付く。危な気がない。

彼の才能、真に恐るべし。


野見山暁治 / Gyoji Nomiyama
1920 福岡県生まれ
1943 東京美術学校洋画科卒業、直ちに応召、満州で発病し入院、その後帰国し入院
1945 傷痍軍人福岡療養所で終戦を迎える
1946 第2回西部美術展覧会で福岡県知事賞
1952〜64 滞仏
1958 第2回安井賞受賞
1968 東京藝術大学助教授(’72教授)に就任(’81退官)
1978 『四百字のデッサン』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞
1992 第42回芸術選奨文部大臣賞
1994 福岡県文化賞
1996 毎日芸術賞受賞
2000 文化功労者に選ばれる
2014 文化勲章受章
2020 満100歳
現在も制作を続ける


安元亮祐 / Ryosuke Yasumoto
1954 兵庫県姫路市生まれ
1972 東京教育大(現、筑波大)付属聾(ろう)学校美術 専攻科入学

学生時代から独特の色彩感覚など日本人離れした感性が際立っており、頭角を現わす。
1988年(34歳)には安田火災美術財団奨励賞受賞。1989年セントラル美術館油絵大賞展・佳作賞受賞。具象絵画や彫刻の新人登竜門といわれる第27回昭和会展(日動画廊主催)では昭和会賞受賞。
特徴的な画風にはマリオネットのピエロ,フルートやトランペットを奏でるジプシーたちが月明かりの下でいつも踊っている。鉛色したブルーグレイの空、人魚の棲む浜辺、枯れかけた花、降り注ぐビーズの雨は見知らぬ街を濡らし、記憶の断片を紡ぐ。窓からこちらの様子を伺う見知らぬ月の住人、刻印された街。そんな幻想的な世界は多くの人々を惹きつけ、魅了してきた。


横田海 / Kai Yokota
1934 東京都生まれ
1968 新宿美術研究所にて麻生三郎、山口長男の指導を受ける
1977 フォルム洋画研究所にて学ぶ

現代画廊の洲之内徹に見出され、国内外で多数個展。

「本来、完全なる抽象なんてないんです。そんなものは猫にでも描かせておけばいいんです。
僕のは具体的な抽象、感情を持った人間自身から生まれる具体的な経験された抽象なんだ」 横田海