田上 允克

Masakatsu Tagami

【Japanese】
TAGAMI 略歴

1944 山口県生まれ
1967 山口大学卒業
1973 東京に出て水彩画を描き始める
1974 油絵、銅版画を始める
1978 銅版画個展(東京シロタ画廊)
1981 油絵個展(東京シロタ画廊)
1982 横浜に移住
1984 現代画廊にて版画展(洲之内徹氏のテキストあり)
1986 版画をやめる ニュー墨絵を始める
1990 神奈川県秦野に移住 紙にミックスメディアで書き始めて現在にいたる
2000 京都に移住
2004 東京日仏学院で個展
2006 山口県に移住

 

 

 

饒舌と寡黙のイロニー(ワシオ・トシヒコ)

名前というのは、自分にとって大義があっても、第三者には識別するただの記号にすぎない。どんな突飛な画号や変名にも動揺しないが、太蛾亜美(だがあみ)さんだけは例外だ。最初から引っ掛かったので、画廊の佐藤さんに訊いたところ、本名は「田上充克」だという。なんと、苗字の音をそのまま別の漢字に置き換え、フルネームにしてしまったわけだ。田上充克を「太蛾亜美」にメタモらせたこの戯画精神こそ、密室の中で、銅版上に異様な幻想的イロニー空間を腐刻させる弾機になっているのではないだろうか。

改めて記すまでもないが、この地球は人間だけのものではない。鯉のもの、ナマズのもの、狐のもの、竹の子のものであり、その他ありとあらゆる生きとし生けるもののためにある。鯉やナマズや狐や竹の子側に立てば、人間たちだって同じ生きものの一種にすぎないのだ。太蛾さんの深奥には、いつもこうした思いが脈打っているような気がする。

例えば、古くから「鰯の頭も信心から」といった諺がある。太蛾さんにはこれを、鈴の尾をつけた鰯のような魚の頭が載った皿の前に、一匹の巨大な鯉を人間やけものたちにむりやり引きずり出させ、神妙に拝ませる鳥蛾図として作品化する。また、「桃太郎」や「浦島太郎」などのお伽噺から部分的に着想したと思われるイロニーも多い。ポッシュやブリューゲルのように、空間をそうしたさまざまなことばで饒舌に充たす戯画もいいが、線刻やフォルムが何ともくすぐったくおかしみがあり、それでいてほのかなポエジーの気配を感じさせる比較的新しいのもなかなかいい。

200枚から300枚ぐらいのデッサンを一度にドサッと画廊に預けるほどの努力家だ。磨かれたテクニックにそう狂いがないし何でもできる。狂うとしたらむしろ、日常のぬるま湯にとっぷり漬かり、驚きを忘れてしまった見る側の平衡感覚の方かもしれない。(詩人・美術評論家)

画廊から(州之内徹)

ワシオさんの書いているとおり、太蛾亜美はタガアミ、すなわち田上である。私がつきあいを始めた頃は、彼が田上君であった。それが突然太蛾亜美になったとき私はあっけにとられたが、彼はただ静かに笑っているだけであった。何事につけても彼は説明ということをしないのだ。自分の仕事についてもそうである。その点もいまの若い人としては変わっている。

つきあいは、もう十年くらいにはなるだろう。いまでも若いのだから、考えてみれば、その頃はうんと若かったわけだが、彼は裸婦のデッサンに夢中になっていた。画用紙は高いからといって、ザラ紙を買って使っていたが、彼の描く数量からいって、それも当然と思われた。画廊が休みでしまっていて、翌日、私が行くと、ドアの前に、縄で縛った何百枚ものデッサンが置いてあったりした。

うまいデッサンで、私はいつも感心したが、感心しながら、私は一種の危惧を感じた。彼はいつも茶色のコンテを使ってザラ紙に描くのだが、コンテにも紙にもなれ過ぎて、仕事がすべってしまうのだ。よどみがなさ過ぎる。仕事が深くなるための引っかかりがない。

かといって、どうすればいいのか、私にも分からないのだったが、彼がエッチングをやり始めたとき、あ、これだなと思った。手間のかかるエッチングの工程がすべり止めになったのかもしれなかった。イメージが画面に食いこんできた。

それにしても、彼のイメージの、この豊富さはどうだろう。ヴァラエティの豊富さだけを言うのではない。内発的なものの豊かさを私は言っているのだ。ガツガツしない。悠々たるものである。だから、得てして類型的になりがちのこういう発想がそうならず、一枚ごとにみな新しく、面白く、生きている。グロテスクの中にいつも彼独特の静かな笑いがある。そして、ここへ来て、むかしの彼のあのデッサンが物を言っているのに私は気が付く。危な気がない。

彼の才能、真に恐るべし。

<現代画廊(銀座)1984年8月23日~9月5日 太蛾亜美リーフレットより>


【English】
Born in 1944 in Yamaguchi Prefecture.
Masakatsu Tagami has consistently followed a path in art taking himself as his own teacher.
When he was 34,Tagami held his first individual exhibition in Tokyo Gallery.Ever soccer,he has a had absolutely no connections with group exhibitions or open exhibitions and releases his latest works at individual exhibitions.
Tagami’s uses various materials on paper and canvas, and he uses a rich variety of expressions.He has an expressiveness so unrestricted in diversity that one may be surprised to realize his works are by the same artist; the views is never made to tire of them.
The characteristics typical of Tagami’s works appears to be an outstanding scene of color,adroit workmanship, and a curiosity that never loses interest in things.His capacity to cut off unnecessary elements without regret and simply depict only subjects of interest to him is so impressive. This may be why the joy of creation and an unconstrained lightness can be felt in each and every one of his works. By earnestly devoting himself to artistic production without any concern whatsoever for notable achievements in the art world and poplar option,Tagami surely seems to be leading a truly artist-like lifestyle.