西村 陽平 – Gallery Kazuki | 画廊香月

西村 陽平

Yohei Nishimura

1947 京都市生まれ

1973 東京教育大学教育学部芸術学科卒業

2001 日本女子大学家政学部児童学科教授(2018年まで)

2018   日本女子大学  名誉教授

1977「第4回日本陶芸展」外務大臣賞受賞、「現代美術の鳥瞰展」京都国立近代美術館

1980「西村陽平展」ギャラリーせいほう/東京、「CLAY WORK やきものから造形へ」西武大津・西武池袋

1982「イタリア巡回現代陶芸展」ローマ・ファエンツァ/イタリア

1983「今日の美術-日本とイギリス」東京都美術館、「カナダ巡回現代陶芸展」主催:国際交流基金

1984「現代の陶芸Ⅱ」山口県立美術館

1985「第2回アジア美術展」福岡市美術館

1987「西村陽平展」INAXギャラリー/東京、「今日の造形 土と炎展」岐阜県美術館

1989「ユーロパリア’89ジャパン」モンス市立美術館/ベルギー

1990「作法の遊戯-’90・美術の現在」水戸芸術館、「サントリー美術館大賞展 ’90–挑むかたち」サントリー美術館

1992「西村陽平展」伊勢丹新宿美術画廊、「手で見る静寂 西村陽平と子どもたち展」福岡市美術館

1993「西村陽平の世界 伝道の書展」三菱地所アルティアム/福岡、「西村陽平展」Keramic Galerie Bowin/ハノーバー・ドイツ 

1995「戦後文化の軌跡1945–1995」目黒区美術館

1996「サントリー美術館大賞特別展’96挑むかたち」サントリー美術館、「アートシーン90・96」水戸美術館

1998「チバ・アート・ナウ’97現代美術というジャンル」佐倉市立美術館

2000「現代美術百貨店」山梨県立美術館

2001「本という美術」うらわ美術館

2002「現代陶芸の100年展」岐阜県現代陶芸美術館

2006「陶磁-日本陶芸の伝統と前衛」フランス国立陶磁器美術館、「近代工芸の百年」東京国立近代美術館工芸館

2009「去った熱–西村陽平展」Cavin-Morris Gallery/New York、「ADVENTURE OF THE FIRE」ワールド セラミック ビエンナーレ/韓国

2010「これは本ではない」うらわ美術館

2011「TIME & MEMORY 西村陽平展」芸術館/香港

2012「彫刻を聞き、土を語らせる 西村陽平展」愛知県陶磁美術館、「西村陽平が出会った子どもたち展」愛知県陶磁美術館、「Apo-Calypse」Beard silverware factory/スイス

2013「時間と記憶 西村陽平展」Cavin–Morris Gallery/New York

2014「西村陽平展」ESPACE MURAILLE/スイス

2016「死者の書 西村陽平展」Vevery/スイス

2018「触れる美術展2018」ギャラリープラザ長野(主催:長野県信濃美術館)

2019「花の骨 / 私という一冊の書物は、火によって読まれなければなりません」画廊香月 , ART FAIR ASIA FUKUOKA 2019 画廊香月より出展

Public collections

東京国立近代美術館工芸館、東京都現代美術館、山口県立美術館、呉市立美術館、パリ装飾美術館、エバーソン美術館/New York、和歌山県立近代美術館、ビクトリア&アルバート美術館/London、愛知県立美術館、国立国際美術館、滋賀県立近代美術館、山梨県立美術館、東京オペラシティアートギャラリー、高松市美術館、滋賀県立陶芸の森美術館、うらわ美術館、千葉市美術館、愛知県陶磁美術館、群馬県立館林美術館、フランス国立陶磁美術館、コーネル大学美術館、岐阜県現代陶芸美術館、アリアナ美術館/ジュネーブ、ニヨン陶磁美術館 /ニヨン,スイス


 

私が学生であったとき、「表現は、自己表現ではない」と考えていた。
当時も今も、表現は自分の個性を表すものとして自明のことだろう。
美術は巨大なマーケットとして成立し、作品は盛んに売買されていく。その中でいかに個性を発揮して売り込んでいくことが大事な要素となる。このような流れに違和感を持ち、異なった別の道があるのではないかと模索していた。
作品を制作するのは自分であるのに、自分を消すとはどのようなことだろうかと、矛盾する事柄に、明確な答えを出せないままでいた。

私たちが日常目にするものは、ひと時の姿にすぎない。少し環境条件が変われば全く姿を変えてしまう。
しかも、物質と物質の関係性により、異なった姿を現わすことになる。

一体、本当の姿とは何であろうか。「存在そのものの不在」ということであろうか。

 


 

 

岩波文庫「アルプス登攀登攀記下1962

 

岩波文庫「諸国民の富(三)」

 

「我ら人生のただ中にあって」