みずは生であり、死である。 はやくもみず" /> 【京都】堀越千秋展「水行く途中」 – Gallery Kazuki | 画廊香月

【京都】堀越千秋展「水行く途中」

Chiaki Horikoshi Exhibition

2025.4.1 (Tue)- 6 (Sun)

みずは生であり、死である。
はやくもみずから、
人はその脳味噌の成果ゆえに
ほろびゆくものかな。
大笑いだ。

 いづかたも水行く途中春の暮 耕衣

堀越千秋

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会期:2025.4.1 [Tue]- 6[Sun] Open 12:00-19:00[最終日 17:00]
会場:同時代ギャラリー(京都)
〒604-8082
京都府京都市中京区三条通御幸町東入弁慶石町56 1928ビル2F
https://www.dohjidai.com/gallery/

Produced by 同時代ギャラリー/ギャラリーモリタ/画廊香月

【イベント】
◆4.1(火)18:00 オープニングレセプション
トーク 石田浄(特定法人京都藝際交流協会 会長)/森田俊一郎/香月人美

◆4.5(土)15:00 パフォーマンス 今貂子(舞踏)
トーク+レセプション

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堀越 千秋/Chiaki Horikoshi 《Detail

1948年 東京都生まれ。
祖父は日本画家、父も小学校の図工教師という3代続く絵描きの家庭に生まれる。1969年東京藝術大学油画科に入学。在学中に解剖学者三木成夫による美術解剖学の講義に感銘を受け、その理論・思想は生涯におけるバックボーンとなった。

1975年 東京芸術大学大学院油画科終了。1976年 スペイン政府給費留学生として渡西、マドリードの国立応用美術学校で石版画を学ぶ傍ら、テンペラ画等の様々な技法に挑戦。1980年 最初の個展をマドリードのエストゥーディオ・ソト・メサで開催。

1982年 日本で初めての個展をセントラル絵画館にて開催。1984年 ニューヨークに滞在。ソーホーでニューペインティングに刺激を受け、制作上の転機となる。抽象と具象、東洋と西洋が入り混じる独自の世界観を奔放な筆致と明るい色使いで表現した。マドリッドを中心に世界各地で活動を続けた堀越は「スペインは、誰もがピカソの勢いと、短気と、粗放さを持っている芸術国家だ」というスペインへの共感をベースに、絵画、立体、壁画などのアートからカンテ、エッセイといったさまざまな分野において、ダイナミックで幅広い作品を生み出してきた。

1995年頃より埼玉県神泉村に居を構え、スペインと日本を往来するようになる。同村に“千秋窯”を拵え、焼き物に興じた。2003年 装丁画を担当した「武満徹全集」(全5巻、小学館)が経済通産大臣賞を受賞。ライプチヒの「世界で最も美しい本コンクール」に日本代表に選出。2003年 展覧会「he has gone to Spain in 1977」三菱地所アルテイアムにて開催。

2005年 絵本「ドン・キホーテ・デ・千秋」 (木楽舎)刊行。2007年から16年まで続いた全日空機内誌「翼の王国」表紙絵でも知られる。2007年以降世界的なフラメンコの踊り手である小島章司舞踊団の舞台美術を手がける。旺盛な文筆活動でも知られ、フラメンコ専門誌「パセオフラメンコ」への連載(1986~2012年)をはじめ新聞・雑誌にエッセイを多数執筆。カンテの名門一族アグヘタファミリーとの親交を深め、カンテの名手として2004年フジロックフェスティバルにも出演した。

著書に「フラメンコ狂日記」「絵に描けないスペイン」「赤土色のスペイン」「スペイン七千夜一夜」など多数出版される。2014年 スペイン国王よりエンコミエンダ文民功労章を受章。2014年3月から2016年11月まで『週刊朝日』に連載された古今東西の名品をめぐるエッセイ「美を見て死ね」は、没後の2017年に単行本として刊行された。
2016年 マドリッドにて死去。
生前より企画されていた画集「堀越千秋画集 千秋千万」は2018年に刊行された。

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【堀越千秋というアートワールド】

2025年元日、念願の美術書『少年アート』をゲットした。私の信頼する人々の間でかなり評判になっていた。1986年の発刊時に1,800円だった本がなんと今では10,000円をも超えていた。人類は長い年月を要すれば必ず真実を見出す、などと勝手に解釈してみた。ロンドンでアートを学んだ著者中村信夫氏が見ていた世界観は、ネット環境も整わない当時の人々にとって理解しづらかったはずだ。
2015年、福岡初のアートフェア《AFAF》を立ち上げた私は、世界と日本との間に横たわるアートにおける価値のズレがずっと気になっていた。しかし、この本はそんなモヤモヤを一気に取り払ってくれた。
文中に書かれていた単語「アートワールド」、それは、“各国にわずかしか存在しない。世界中のギャラリーや美術館で個展を行いながら、今後のアートヒストリーに名を残す可能性の高いアーティストたちの形成する場”と記されている。アートワールドに刻印を打ち込むことができるかどうか、そこに向けての活動こそがキャリアアップに繋がる。いったいこの国ではどれほどのアーティストやアート関係者が認識しているのだろうか。

近年、アートフェアやオークションはアートワールドに大きな影響力を持つと言っても過言ではないだろう。そう考えると《AFAF》の広がりや《九州派》の高まりにも納得がいく。そうした背景を後ろ盾にして、今私が最も着目するアーティストが“堀越千秋”だ。かつてこれほどまでに規格外、インテリジェンスでありながらも怪物的、そんな絵描きがいただろうか。堀越は私たちが普段口にする絵描きという概念では計り知れない存在だ。彼の生き方、言動、振る舞いそのものに多くの人々が吸い寄せられた。誰もが簡単に芸術家を標榜し、閉塞感に満ち殺伐とした今だからこそ堀越の作品や生き様に真摯に向き合いたいと思う。

堀越は親子三代に渡る絵描きの血筋を受け継ぎこの世に生を受ける。1974年東京藝大を首席で卒業した彼にとって日本は狭すぎた。九州派の桜井孝身が1960年代に日本を飛び出しアメリカ、フランスに居を構えたように、彼はスペインへと向かった。日本人特有の「わび・さび」を根底に、芸術国家スペインで培った精神風土を具現化させた。彼が創造した美は絵画だけに止まらず舞台美術、壁画、書、版画、陶芸、エッセイ、新聞各紙の挿絵、絵本、カンテフラメンコ。スペインと日本のメディアは競うようにドキュメンタリーを放送した。堀越の存在は人々を魅了し続けた。彼が創造したものは作品だけではなく、堀越千秋そのものが芸術となった。あらゆるものが堀越の身体を通して創造物となって生まれ変わる。大いなる感覚器官と呼ばれた所以である。

魅せる生き方とはどのようなことなのか、堀越が亡くなった時、本場フラメンコ発祥の地スペインでは絵描きとしてだけではなく、偉大なカンタオール(フラメンコの唄い手)が亡くなったとの声明を出した。カンテフラメンコ最高峰と呼ばれたマヌエル・アグヘータやそのファミリーと共演する堀越のカンテは本場スペインの人々の度肝を抜いた。2014年にはスペイン国王よりエンコミエンダ文民功労章を授与されたほどだ。2016年、堀越はその半生を捧げたスペインで帰らぬ人となる。ANA機内誌「翼の王国」のアルタミラ洞窟壁画取材の直後だった。週刊朝日「美を見て死ね」の著者でもあった堀越はあっという間に散ってしまった。
私たちがアートを享受する際、常にアートワールドを意識することが大切である。天才を見出せない世の中は不幸だ。結果、世の中は虚構で溢れてしまった。アーティストの才能を見出すことは人々に真実を見極めるセンスを養う。日本における真のアートワールドの確立は急務だ。このまま無味乾燥な世となるのか。あの堀越の屈託のない笑顔を思い出してほしい。アートはもっとワクワクするもの、世の中に真の豊かさをもたらすものなのだ。
アートワールドの創造を見据えた実験は、“堀越千秋の芸術”再発見とともに今始まったばかりだ。

一般社団法人 アートフェア・アジア福岡 理事/Gallery MORYTA代表 森田俊一郎

 

■京都新聞掲載 2025年3月29日(土)

■FM京都radio出演 2025年3月27日(木)17:00~18:00