平野 遼

Ryo Hirano

 
戦後の混乱期に独学で画家として歩み始めた平野は、困窮と孤独のなかで、独特の筆致による内面世界の表現を確立しました。平野の関心は常に「人間」にありました。平野は時代に流されることなく、真摯に人間や社会、そして自分自身と向き合い、その本質を捉えるべく凝視し続けました。作品には、時に苦悩し不安にふるえ、時に矛盾を抱え生きる人間の普遍的な心の在りようが、重厚な色彩と線とによって表現されています。

《北九州美術館HP「特集 没後30年 平野遼」より》

 

[ 略歴 ]

1927 大分佐賀関町生まれ。
1940 徴兵令よにより若松造船所で働く。
1945 戦・除隊後、住居を転々としつつ米軍のポスターを描き、似顔絵描きをする。
1949 上京。第一三回新制作展にて蝋画『やまびこ』初入選
1957 若松「ドガ」画廊で初個展。以後国内各地で個展。
1986 池田二十世紀美術館、62年、北九州市立美術館で「平野遼の世界展」。
1987 西日本文化賞受賞。
1990 下関市立美術館で「平野遼展」
1992 11月24日逝去。

作品集:『平野遼素描集』(大阪フォルム画廊 昭和47年)、『平野遼自選画集』(小学館 昭和52年)ほか
文章・画文集:『地底の宮殿』等の著書ほか